美術館めぐり
好きな作家の美術館 記憶にある美術館 美術展の感想

素人の素朴な感想
クラシック音楽の嫌いな人にクラシックの名曲を聞かせても感動しないように絵画にも好き嫌いがあります。
ここに書いた内容は、美術素人の私が受けた印象をそのまま書いているだけでいわゆる美術評論では有りません。
美術評論家やファンの方々のご意見とは相容れない点が多々あるかもしれないと言う事を予めお断りしておきます。

2002年入館の分だけです。
ミロ展
世田谷美術館
会期2002-7/27~2002-9/23
(2002-9/20入館)

いつもの事だが今回も閉幕ギリギリ3日前の入館となってしまった。それにしても世田谷美術館は不便な所にある。JRと営団地下鉄と東急田園都市線、それにバス。一体何回乗り換えた事か。
と、それはさて置き、ミロの初期の力強い黒線で縁取られたそれこそルオー張りの静物や風景画から繊細なモンロッチの風景やゴッホ張りの肖像画を経てマヨルカ島での星座シリーズに至るまでのミロの作風の軌跡を辿るに充分の作品が展示されていてよかった。
“作品保護のために照明を落としています”と注意書きしてのほの暗い中での展示作品も有ったが、今年5月に大丸ミュージアムで開催されたミロ展よりも総じて明るく作品の色彩も良く分かった。
ミロの作品は明るい所で見たい。バルセロナのミロ美術館ではデジカメ手持ちでノーフラッシュ撮影に全く支障なかったくらい明るい展示ルームだったのに。

開館記念展・光の中の女達
ポーラ美術館
会期2002-9/6~2003-6/3
(2002-9/11入館)

今春新国立劇場でワルキューレを観た時に開設案内を配布していたポーラ美術館が9月6日にオープンしたととの情報が。
開館を記念して『光の中の女たち』と題して所蔵作品の中から光と女性をテーマに400点を展示しているが、まずその展示作品の量と質の高さに圧倒された。
展示作品については観る人によって評価が分かれることもあるが、個人の収集とは思われない膨大なコレクションの前にただただ驚くのみ。箱根を訪れたら是非一度足を運んで損はない美術館である。

ブラマンク・里見勝蔵・佐伯祐三展
損保ジャパン東郷青児美術館
会期2002-6/15~7/25
(2002-7/24入館)

「安田火災東郷青児美術館」が名称変更して「損保ジャパン東郷青児美術館」になったばかりでポスターもチケットもそして図録も「安田火災・・・」のままである。
会場に入ってすぐに野獣派の巨匠ブラマンクの世界に圧倒された。力強く画面に踊る色彩と筆致。最近見たどの展覧会でもこれほど迫力を感じたことはあまりない。
中学生の頃から美術の本でその作品に触れることはあったが、油彩を直に見ることが出来て改めてその素晴らしさを実感した。
垂れ込めあるいは光り輝く雲とその下に広がる雪景、緑の木々と赤い屋根の対比。描かれた田舎の風景は、色彩面としての画面と厚く盛り上げた絵の具からの筆致とが平面的な画面を立体的な光景に変え生き生きと迫ってくる。
この作品を見たあと続けて里見勝蔵の作品を見るとその迫力に違いに里美が哀れに思えてくる。
里見の初期の絵は師事したブラマンクの画風を忠実に再現しようとしたのではないかとさえ思える。
そして彼独自の作風を模索しようとしたのであろうか赤の原色を塗りたくりそれを補色の緑が支える一連の裸婦像は彼の代表作とはなったが「美しきもの」からは遠ざかった印象を受けた。
それに比べて佐伯の作品に見られるその落ち着いた色調は原色踊る里見の作品よりも私の好みであり、後に荻須高徳が影響を受けたのではないかとさえ思える。

アンジェ美術館展
千葉市美術館
会期2002-6/08~7/14
(2002-7/05入館)

「アンジェ美術館」の増改築に伴う一時閉館に際し、同館が所蔵する18世紀フランスのロココ絵画や彫刻など79点が展示されていた。
モチーフは聖書に題材をとった宗教画、当時の貴族の生活を題材に開いたもの、それに果物や動物を描いた絵画など多彩である。
宗教画の世界は聖書を一度も読んだ事のない私には描かれた内容を理解すべくもないが精緻に描かれた技術にはただただ驚嘆するばかりである。
しかし、当時の絵画に出てくる女性は何故胸をはだけて意味もなく乳頭を露出しているのであろうか。
プラド美術館で観たルーベンスのディアナの狩猟然り、猟に出かける情景を描くに胸を露出する必要性が何処にあるのか疑問である。今回の展示作品でもこの手の絵画が多数見かけられたが何故なのだろう。
当時の貴族が自分の城に飾るために描かせた肖像画も多数有るが、それらは当人の自己満足の世界であって他人が見てもさして面白いものではない。
描写力には感嘆するが、似たような肖像画が多数展示されているのを観ると辟易してしまう。
服飾関係には興味のない私には"猫に小判""豚に真珠"であった。

第24回新日本工芸展
上野の森美術館
会期2002-5/25~5/31
(2002-5/29入館)

陶作品に若干興味があったので、ネットで知り合った作家さんからチケットを贈って頂いて見に行ってきた。
当初、新進の陶芸作家達の発表の場位に軽く考えていたが、入り口を入ったところでその考えが全く間違っていた事に気づかされた。
展示されている作品はどれも伝統の技術に裏づけされながらもそれにとらわれることなく現代感覚で再構成された作品ばかりで、その前でしばし歩みを止めて眺めいってしまった。
大胆にして繊細、豪放にして精緻。日常の生活に密着した工芸品でありながら、それは紛れも無い美術品であり作家の目指す方向性にも共感を覚えた。

マジョリカ名陶展
東京都庭園美術館
会期2002-4/04~6/23
(2002-5/29入館)

15~17世紀のイタリア各地方の陶器を主体に展示されているが、そこには驚きに値する職人技があるでもなく、また陶器の歴史に残るような新しい試みを見出す事も出来なかった。
私が知識不足のためか、皿や壷などの形にも彩色にもこれといって特筆するような点は見つからなかったと言うのが正直な感想である。
彩色はイタリアやスペインで現在もよく見かける陶器と同様であり、その地方での陶芸の歴史の1ページではあるかもしれないが、世界的な陶磁器の大きな歴史の流れの中での影響には疑問を感じた。

フランス近代絵画展
松岡美術館
会期2002-4/27~9/01
(2002-5/29入館)

すべてが収蔵作品であり常設展示の彫刻類も含めて個人収蔵の作品としては大変レベルが高い展覧会であった。

太陽の賛歌/ミロ展
大丸ミュージアム
会期2002-5/2~5/21
(2002-5/9入館)

油絵、版画、彫刻のそれぞれが約3分の1づつの展覧会。ミロ展は日本で何回も開催されているがどうしてあんなに暗い会場で展示するのだろう。
今回の展覧会のテーマは【太陽の賛歌】と謳われており【月夜の情景】ではない。
ミロの作品はもっと明るい所で鑑賞してこそその素晴らしさに感動できるように思うがどうか。
あれではとてもカタルーニャの明るい太陽を想像する事は困難である。
油彩の作品に小品が多く大作もミロの代表作を集めたとはとても言いがたい。
少し消化不良を起こしたミロ展ではあった。

ユトリロ展
安田火災東郷青児美術館
会期2002-4/20~6/9
(5/9入館)

パリに生まれモンマルトルを愛して生涯パリを描きつづけたユトリロの初期の作品から白の時代を経て色彩踊る華やかな晩年の作品までをまとめて一度に見ることができる。
作品を見ていると、とてもアルコール依存症の患者が描いたとは思えない洞察力に驚かされる。
街角の風景や多くの画家が好んで描いたムーラン・ド・ラ・ギャレットには、表の華やかさとは裏腹にその裏に隠れたうらぶれた寂しさがにじみ出ている。
そこにある深い哀愁に包まれた詩情高い作品に触れると日頃のストレスも消えいってしまうようである。
ユトリロ展は1997年9月にも伊勢丹美術館で開催されており、その時に比べると若干展示規模は小さいものの同じ作品は少ない。

マルク・シャガール展
東京都美術館
会期2002-4/20~7/7
(2002-5/9入館)

シャガールの作品は版画で見ることが多く、近年これほどの数の油彩を見たことがなかった。
展示作品には大作も多くて会場全体が鮮やかな色彩に包み込まれているようである。彼の作品は最愛の妻ベラに捧げた愛の確証として日本の若い恋人達にも人気が有るが、年老いた私にも活力を与えてくれたような気がする。
絵の好みの問題は別にして、ロシアでパリでアメリカでそしてまた南仏で息を引き取るまでの、彼の画業の軌跡を辿る上でも貴重な展覧会でも有った。

プラド美術館展
国立西洋美術館
会期2002-3/5~6/16
(2002-5/9入館)

大混雑が予想されたので朝の開館まもなく入館したが拍子抜けするくらいガラ空き。一時間あまり見て周ったがそれでも各絵画の前には2~3人程度でゆったりと鑑賞する事が出来た。
プラド美術館へ行ったときには見ることが出来なかった作品も今回陳列されており大満足である。
作品としては展示前半の宮廷絵師による肖像画、中盤の宗教画、そして最後にそれらから影響を受けた画家達の作品に大別される。
美術書にも良く載っている肖像画ではその描写力にまず脱帽する。肖像画として顔を強調する為か、纏足(テンソク)のように異常に小さいく描かれた足には違和感を隠せないが、ビロードやレースなどの衣装や腕輪や首飾りなどの装飾品の質感表現はまるでそのものと言うか写真以上の迫力で迫って来て言葉を失う。
この点は宗教画も同じで有るが、聖書を一度も手にしたことがない僕にとってそのモチーフがもう一つ理解できないのが残念であった。
総じて暗い背景に対象を浮き上がらせた手法は花や果物等の静物画にも見られ、ウェブサイト用の花の写真を撮る時にも応用できそうである。
絵としては好みの部類に入るものではないが絵画の歴史を考える時必見の展覧会であった。

エジプトのガラス展
中近東文化センター
会期2002-1/19~4/7
(2002-4/2入館)

都心からは少し離れるが、国際基督教大学脇の木立に囲まれた中近東文化研究施設の一階が展示施設になっている。
古代エジプト時代のコアガラス技法による施釉陶器。その後のローマガラスとの融合。吹きガラスの登場によって装飾品から日用品への変化・・・ガラスに焦点をあてて古代からローマ時代までの文化の変遷を見せてくれる。
紀元前2000年の昔エジプトで作られたファイアンス技法のガラス陶器の透明感のある蒼、精緻な紋様には現代生活から受けるストレスを忘れさせてくれる不思議な力が宿っているようだ。
今回のような企画展示では、実際に発掘調査に携わった研究員の方が作品の説明をしてくれるので、作品が生まれた当時の時代背景などとあわせて理解する事ができるのは助かる。
常設の展示品も充実しているので中近東の文化に興味のある方には是非お奨めしたい。

カンディンスキー展
東京国立近代美術館
会期2002-3/26~5/26
(2002-3/31入館)

美術館は皇居北の丸公園の近くにあり、玄関前の桜並木は殆ど散ってしまって散り残った花が満開時の様子を偲ばせてくれる。
ロシア生まれのカンディンスキーと言う画家が日本でそれほど馴染みのない作家だとは思わないが、同時期に上野の国立西洋美術館でプラド美術館展が開催されている為か、折角の晴天の日曜日と言うのに観客の姿はそれほど見えない。
私がカンディンスキーを知ったのはもう40年近くも昔の事になる。パウル・クレーを調べていて『クレーの日記(南原実訳/新潮社)』の中でカンディンスキーの名前を見た時が最初で、彼の著書「点・線・面(西田秀穂訳/美術出版社)」や「抽象芸術論(西田秀穂訳/美術出版社)」などで彼の考え方に触れた時に遡る。
今回のカンディスキー展には日本初公開含め70点ほどの作品が展示されていたが、初期の写実主義から印象派風作品の時代を経て抽象絵画にいたるまでの画風の移り変わりを理解する上でも素晴らしい展覧会で、先日のクレー展同様充実した休日を楽しむ事が出来た。
輪郭を縁取る力強い黒が、輪郭から遊離して色彩のひとつとして主張を始める。
そこには具象の影はなく対象の内面を彩る色彩がキャンバス上を自由に乱舞するのみ。
「コンポジションⅦ」や今回の展覧会のポスターにも使われた「二つの楕円」などは別格としても、その他のどの作品もそれに劣らない主張をしている。
また、ロシア革命時代に描かれた作品からはその時代の暗い世相が読み取れるような気がする。
とても同一人物の作品とは思えない浮世絵風木版も展示されていたが、彼の作風の変化を辿る上で大変興味深い。

パウル・クレー展
神奈川県立近代美術館
会期2002-2/9~3/31
(2002-3/28入館)

美術館(本館)は鶴岡八幡宮の境内に有るが、緑に囲まれた建物の中に入ると花見客で賑わう八幡宮の喧騒とは別世界のような静けさ。
今回のクレー展では小品を中心に百数十点の作品が展示されていた。展示作品は旅に焦点を当てて選定したということでクレーが訪れたイタリアやエジプトでの作品も多数展示されている。
私の好みから言えば初期の写実的な作品にはあまり興味がわかず、後期の作品特にモノクロの線描作品に惹かれた。単純な線一本一本に思いが込められてどの線も省略できない緊張感。
モザイク状に彩色したカラフルな作品も良いが今回の出展作品には私が好む作品が含まれていなかったせいか、絵の具をまったく使わないで対象を的確に表現した作品の方に日本的な象徴化を感じ惹かれた。今回は小品が中心だったので特にその感が強い。
クレーの愛好家は母国スイスについで日本に多いらしい。私もその中の一人だと思ったら一寸複雑。今までは少数ファンの中の一人だと思っていたのに。

モネ展
川村記念美術館
会期2002-2/20~4/14
(2002-3/18入館)

駐車場から美術館へ至る木立の下一面にカタクリや雪割り草の花が咲いていて、そこで花を眺めているだけでも心をリフレッシュできるような素晴らしい環境の中に美術館があり、睡蓮を中心に油彩の大作30余点が展示されている。
モネは光と色彩の画家との評価が定着しているが、展示作品を見る限りでは全体に薄暗い色調で睡蓮にも生彩が感じられない。
水面に映って揺れ動く対岸の様子と睡蓮の葉とが溶け合ってしまって平面的な絵になり奥行きも感じられず、浅学な私にはそこに光を感じることは出来なかった。
しかし、展示作品から、それまでの写実主義とは一線を画し対象を忠実に描くことよりも対象から享ける印象を表現したかったことは充分に理解できる。
その意味では同じ印象派の代表格であるセザンヌの絵とは少し感じ方が違う。そこでは、その後急速に広がった抽象絵画に近いとも受け取れるような表現手法を垣間見た気がする。

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