天平時代に建立された上総国分寺の僧寺跡には、現在「医王山清浄院国分寺」が建てられておりますが、その大半を占める部分は草原のままで保存されていま す。奥に見える森の中に現在の国分寺が有ります。 |
国分寺仁王門は、その建築様式から江戸時代の中頃の十八世紀の建立と考えられています。
国分寺仁王門
正面両脇の金剛柵の中に安置されている仁王像は、特徴からは右側の阿形像は南北朝時代に、左側の吽形像は江戸時代の作と考えられています。 |
この仁王門の手前右側に「応安第五壬子十二月三日」(1327年)の銘文を刻む「将門塔」と伝えられる宝篋印塔があります。現地の案内板に拠れば、『石 質は凝灰岩で高さ約1.5m。塔身は損耗が激しく四面に種子を刻んだと思われるが正面の「アク」の梵字が判読できるに過ぎない。隅飾りは外側の直線が笠部の 底辺に対して直立し内側の弧線は2弧線となっている。相輪は紛失してない』と有ります。現在の相輪は復元したものです。 |
現在の国分寺の本尊は薬師如来で、それを祀る薬師堂(市指定文化財)は、江戸時代の中頃、正徳六年(1716年)に書かれた国分寺「再建之縁起」によれ ば、僧侶「快應」によって正徳5年(1715)頃再建されたと有ります。 |
上総国分寺 |
以下の文章は市原市のホームページから抜粋しました |