情熱の国スペイン


1998-09/27~1998-10/05
写真の上にカーソルを置いて暫く待てば撮影場所を表示します。

1998-09/27 リスボン → セビリア

ポルトガルのリスボンからの長距離バスで国境を越えてスペインに入ると、それまでの岩原だった周囲の景色が一変する。
見渡す限りの牧草地かあるいはコルクやオリーブの林が延々と続く。
所々の小高い丘の上には古城の要塞のような建物も見える。
都市部では農地改革が進んできたそうだが、地方ではまだ大地主が広大な土地を独り占めしているらしい。

ポルトガルのリスボンと今日の宿泊地セビリアの丁度中間ぐらいに位置する国境近くの町バダホスのホテル「TURBARAN」で昼食を取る。
ツアーでご一緒した方の中にスペインに詳しい方がおられて、ホテルに頼んで皆さんに振舞ってくれた名物黒豚の生ハムのうまかった事、今でも忘れられない。
しばしの休憩後、また何も無い田舎道をバスはひた走り、宿泊予定のセビリアのホテルに着いた時は既に午後6時を回っていた。

1998-09/28 セビリア → ロンダ → トレモリノス

セビリア万博跡、闘牛場、オペラ劇場、黄金の塔などを横目に見ながらマリア・ルイサ公園の木々の間を抜けてスペイン広場に出る。
あいにくの小雨が降り出してきたので、傘をさしながら広場を囲んでいるイスラム様式の建築を見てまわる。そこにはスペインの各地方の歴史をあらわすタイル画が貼られていた。
広場を抜けた所には何台かの馬車が待機していたが、多分あれは観光用であろう。

スペイン広場からムリリョ公園を通ってサンタ・クルス地区の狭い路地を抜けると、突然目の前にヒラルダの塔が現れる。
塔は修復中で周囲に足場がかけられていたが内部には何の支障もなく登ることができて、回り階段の途中にある覗き窓からはセビリアの街を一望する事が出来る。往復で15分程度は要したろうか、結構いい運動になった。
塔はカテドラルとつながっており、そのまま礼拝堂の中を見学する。

カテドラル

午後は崖の上の街ロンダに移動し街を徒歩で観光する。深さ100mの峡谷の上に架けられたヌエボ橋から下を見ると遥か下を流れる川に吸い込まれそうな気がしてくる。
この街にはスペイン最古の闘牛場もあるが残念ながら外から眺めるだけでその前を通り過ぎた。いつの日か本物の闘牛を見てみたい気もする。

宿泊は地中海に面するコスタ・デル・ソル(太陽海岸)の中心地トレモリノスである。
ホテルの目の前の砂浜には椰子の葉で編んだビーチパラソルが延々と立ち並んでいる。 ここがヨーロッパを代表するビーチリゾートなのか・・・
夕食はレストラン「LA MARINA」まで車に乗ってシーフードを食べに行く。丁度夕日が沈みかけたところで空が真っ赤に染まってきた。
最近こんなに澄んだ夕焼けは見たことが無い。
海を眺めながら食事ができるように並べられたテーブルに次々と料理が運ばれてくるが、聞いた事の無い料理ばかりで一体何なのか良くわからないままかぶりつく。
まぁうまいからいいか。すぐうしろの厨房ではコックが包丁を振り上げて愛嬌を振りまいていた。


1998-09/29 トレモリノス → グラナダ

出発前に海岸を散歩してみる。地中海といえども9月末の朝でもあり気温はそれほど高くない。
まだ陽も高くないのに海岸にはもう水着姿がちらほら・・・と言っても皆さんビアダルのようなおじさんやおばさんばかりで、とてもゆっくりと鑑賞するような気にはなれなかった・・・

グラナダでは車窓から城壁跡やカテドラルを見てアルハンブラ宮殿へ。
昔、クラシックギターを習っていた頃からいつかは行きたいと念願していた宮殿にいま自分の足で立っている。

『とうとう来たんだ!!!
宮殿の玄関口に当たるグラナダスの門には三つのザクロが彫りこまれている。
お酒を飲めない私が、昔友人と飲み屋に出かけたとき飲んでいたざくろジュースにグレナディンと書いてあったのを思い出して『グラナダの語源はザクロだったのか』とひとりで納得していた。
門を通って宮殿内部へ続く道を進む。
アラブ王が建てた宮殿の柱や壁には細かい文様がびっしりと彫りこまれている。
ここには、長い歴史の中で謀略や争いに巻き込まれて虐殺された王族の霊も眠っているのであろうと思うと複雑な気持ちになってくる。
メスアールの間や噴水が美しいアラヤネスの中庭を抜けてさらに進むとライオンの中庭から2姉妹の間へと続く。

その何処にも13~14世紀の芸術がそのまま現代に生きていることに感動を覚える。
最後に出たところは周囲を部屋で囲まれた円形のカルロス5世宮殿である
一通り見終わった後、宮殿とは谷を挟んで反対側にあるヘネラリフェの庭園にまわる。崖の上に位置しているので眼下に広がる市街の眺望が素晴らしいが、この庭園から眺めるアルハンブラ宮殿も絶対に見逃せない。
ここで撮った数枚の写真が空港のX線検査で感光してしまって記念に残らなかったのは大変残念である。


夕食後はフラメンコ・ショーへ。雰囲気は場末の劇場のような感じであるが結構広くて客席は全部で数百席はあろうか。
席に着くと暫くして飲み物の注文を聞きに来る。何を頼んだか忘れたが適当に頼んで待っていると、いつの間にか殆んどの座席が埋まっていよいよショーが始まった。
ひとりふたりの踊りと違って10人近くの踊り子が同時に踊ると流石に迫力がある。実はひそかにフラメンコギターの独奏もあれば・・・と期待していたがやっぱり無理な願いだったらしい。
ジプシー出身の踊り子達は他に生計を立てる道も無く、小さい時から中央の舞台に立つことを夢見て膝や踵の関節をボロボロにしてまで修行に励むと言う。
華やかな舞台の裏にある苦労を聞いてからステージを観ていると、時折悲しい気持ちもこみ上げてくる2時間であった。

ホテルが満室だったためか与えられた部屋は角に面して2方を眺められるスィートルーム。広い入り口の間には豪華な花が飾ってある。
ベッドルームも2っ有るが使うのは一室だけで、勿体無いから一室を洗濯物乾燥専用に使う。
スィートの部屋に靴下をぶら下げた客は僕が初めてではないか? 浴室でさえビジネスホテルの部屋ぐらいあって、こんな広いところに泊まった事が無いからどうも落ち着かない。

1998-09/30 グラナダ → コルドバ

バエナの白い村が見えるとまもなくコルドバに着く。 15世紀の建物を改造したと言うレストラン『ALMDANINA』で昼食をとったあと、ユダヤ人街から花の小道を通ってメスキータ(モスク)へ。
花の小道に面する家々は、庭や壁に沢山の花を咲かせて、道を通る人々に自由に見させてくれた。



メスキータの中に入ると数百本は有ろうかと思われる大理石の柱の上の赤白の縞模様によるアーチが幻想的な世界へいざなってくれる。
よく見るとこの縞模様は塗装されたものではなく、白石と赤レンガを交互に組み合わせている事が分かる。
さらに中に入ると、この地方の支配者の変遷を示すように,ゴシック,ロマネスク様式,バロック様式が混在する不思議な空間が広がっている。

メスキータの前を流れるグアダル・キビール川の対岸にあるホテルの窓からは、正面にメスキータ右にローマ橋を望むことができる。
夕方になると放牧地からねぐらに帰る羊の群れが、河原に帯のようにつながってローマ橋の向こうに消えていった。

1998-10/01 コルドバ → マドリード

ホテルを出発して15分ほどでコルドバ駅に到着した。
ここからはスペイン新幹線AVEに乗ってマドリードまで列車の旅を楽しむ予定である。
列車が到着するまでの間待機した広い待合室はホテルのロビーのような雰囲気で、ゆったりとしたソファーや無料の飲み物があって、待っている事が少しも苦にならない。 室内には我々ツアーのメンバー以外の姿はあまり無く、貸し切りに近い状態で談笑しながら1時間ほど休憩してホームに降りる。

ホームに立って周囲を見まわすと、駅というよりは大きな倉庫の中にいる感じで、建物内には荒々しく鉄骨が交錯しているだけで案内標識のような看板はあまり見当たらない。
待つ間もなく列車が入ってきた。飾り気の無いあっさりとしたデザインである。
車内は思ったよりも広く、我々の席は一人掛けで背もたれも高く飛行機のシートのようだ。
列車は音も無く滑るように動き出した。気になるような騒音もなく静かで乗り心地も上々である。


1時間半ほどでマドリードのアトーチャ駅に到着。駅はガラス張りの大きなアーチ屋根の建物で、あたかも植物園のように構内の中央部には沢山の草木が植えられている。
輸送機能だけを追求するのでなく憩いの場所としての機能も提供してくれる点が日本の新幹線とは少し違うような気がした。

昼食までの間、王宮西側の庭園『カンポ・デル・モロ』を散策する。
王宮の説明をしていたガイドが、急に説明を中断してツアーメンバーに移動を即すので何事かと思ったら、近づいてきたアラブ人風の二人のしぐさから『彼らはスリだから気をつけるように』と言う。
旅行気分と長旅の疲れで、少し気が緩んできたところだったがいっぺんにシャキっとして、それから暫くはその話題に花が咲いた。
昼食後王宮前のアルメリア広場やアルムデナ大聖堂そして王宮内を観光する。
王宮内の天井画や壁に掛けられた絵画は、長い年月を経て若干セピア色に変色してきたようで制作時の鮮やかさは若干欠けるが、それが却って落ち着いた雰囲気をかもし出している。
金色に彩られた調度品と金糸を編みこんだ赤い絨毯の王座の間、ブルーを基調にしたカルロス3世の控えの間、金色もまばゆいガスパリーニの間などなど・・・往時の隆盛を誇る名残がいたるところに見受けられる。

その後レティロ公園を散策してからソフィア王妃芸術センターへ。
ここにはダリやピカソ,ミロの作品が並べられているが、なんと言ってもピカソの『ゲルニカ』の展示で有名である。
しかしガイドの説明では、近々ピカソの生まれ故郷の町に移すのではと言うような事を言っていた。

ホテルに荷物を置いて、夕食を食べにマヨール広場近くのレストラン『BOTIN』へ出かける。『大きい広場』という意味のマヨール広場の面積は東京ドームのグランド面積の1.2倍程もある。
こういう広場がスペインの街のあちこちにに有って市民の憩いの場となっているのを見ると、あまり広場を持たない国の住人として本当にうらやましく思う。
周囲を4階建ての建物に囲まれた広場の中央にはフェリペ3世の騎馬像が立てられたいた。
また、広場の一角には似顔絵描きの一団がいて、通りかかる観光客相手に、お世辞にも似ているとはいえないような漫画チックな似顔絵を描いていた。
『BOTIN』はスペイン最古のレストランということと、ヘミングウェイの「日はまた昇る」に書かれた事で有名になったらしい。席に座って待っていると、子豚の丸焼きを持ってきて『これを切り分けます』と言って見せてくれる。
出てきた肉塊は私の胃袋には大きすぎてとても食べきれない。周りを見ると、若干アルコールが入っていたとはいえ矢張り少し大きすぎたらしくて殆んどの方が食べ切れなかったようだ。

1998-10/02 マドリード → トレド → マドリード

午前中、古都トレド市内を徒歩で観光する。
この街はタホ川に囲まれた小高い丘の上に、中心に城郭を周りに教会を配置した城塞都市で、その歴史は紀元前にまで遡る。
カテドラル,サント・トメ教会,サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会,サン・ファン・デ・ロス・レイエス教会などを周ってサン・マルティン橋まで歩いた。
しかし今では写真を見ても、カテドラル以外はごっちゃになってしまいどれがどの教会なのかわからなくなってしまった。
手遅れながらも旅から帰ったらすぐに整理しておかないといけないなと反省してます。

午後は待望のプラド美術館へ。世界有数の規模を誇るこの美術館はとても一日でまわることは出来ない。
2時間ほどの間に駆け足でゴヤやベラスケスを見てまわる。
いつの日かもっとユッタリとした日程を組んで再訪したい美術館である。


1998-10/03 マドリード → バルセロナ

マドリードからバルセロナまでは飛行機で移動する。
朝7時45分のイベリア航空に乗って8時45分にバルセロナ到着。すぐに市内観光に出る。
スペイン広場で現地ガイドと合流しモンジュイックの丘(オリンピックスタジアム)経由展望台へ。
そこからコロンブスの塔を横目で見てランブラス通り,グラシア通りと市内観光しグエル公園へ。
未来の住宅地としてグエルが計画しガウディのデザインで始まった建設もたった2戸しか売れずに失敗して工事が中断され、現在はグエル公園として観光名所になっている。
曲面でデザインされた建物の壁やベンチそしてガードの壁にまでもモザイクタイルが貼り付けられた風景は異様な雰囲気を漂よわせていて、芸術的な価値も高いらしいが私には良く分からない。
そのあと、建設途中のサグラダ・ファミリア(聖家族教会)へ。
建設開始後120年近くたった現在でもまだ完成しないこの教会は、現地ガイドの話によると、戦時中にガウディーの設計図の一部を紛失したことでさらに工事が困難になって、詳細部分は手探りで設計を進めなければならず、今後まだ200年近くの年月を要するらしい。 ただ、当初石積みで始まった建設が最近の部分は鉄筋コンクリート造りになっているので、果たして完成まで部材の寿命が持つのだろうかと気になるところではある。

自由時間を利用して、地下鉄でカタルーニャ広場へ出てタクシーを飛ばしてモンジュイックの丘にあるミロ美術館へ急ぐ。
バルセロナへ行った折には是非訪れたいと念願していた美術館である。
ノーフラッシュであれば写真撮影もOKと言うのも気に入った。ミロ美術館自体については日本語での簡単なパンフレットが受付に置いてあったが、入り口を入って左の部屋で開催されていた音響と芸術のかかわりらしい企画展示については、全てスペイン語での説明で何の事か全く分からなかった。 常設展示は右半分の1階と2階それに屋上である。1階奥の『水銀の泉』横の展示室には壁一杯のタペストリが飾られている。
2階は絵画がメインの展示で屋上には彫刻が並んでいる。
建物が丘の上に建っていることもあって屋上からはバルセロナ市街を一望する事もできる。

美術館からは、徒歩でカタルーニャ美術館横を通って街まで降りてきた。
カタルーニャ美術館のすぐ下の広場では、飾り立てた馬や着飾った騎手それに観客が沢山集まって大混雑している馬の品評会?らしい場にも出会わした。
歩いているとあちこちの広場や交差点の中央に○○記念碑とか△△さんの肖像とかの石像や銅像が立てられていて、それがまた大きくて目印になるので、初めて街に出ても道に迷わないですむのは助かる。

1998-10/04 バルセロナ → ロンドン → 成田

早朝、7時05分にホテルを出発し、9時過ぎの英国航空BA-477便でロンドンに向けバルセロナを離陸。
時差が1時間有る為10時チョット前にロンドンに着いた。ヒースロー空港の広い港内を第4ターミナルから第1ターミナルへバスで移動し、午後の乗り換え便出発までの間自由行動を楽しむ。
午後1時25分英国航空BA-005便でロンドンを離陸し、翌10月5日朝無事成田に帰着した。


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