利尻・礼文と道北の初夏


1999-6/17~1999-6/19
写真の上にカーソルを置いて暫く待てば撮影場所を表示します。

1999-6/17 羽田~稚内

羽田空港行きの急行バスを待っていたが一向に来る気配がないので、係員に聞くと先日時刻表が変更されて後30分は来ないらしい。
それではとても予定した便に間に合わないので、近くにいたタクシーに飛び乗って空港へ飛ばし、何とか羽田発12:30の便には間に合った。今回の旅は最初からドジってしまい先が思いやられる。
無事稚内空港に到着しそこからはバスで稚内港へ。
礼文島行きの連絡線[クイーン宗谷]が停泊しているがまだ乗船は開始していないようなので、行列の先頭にならんで乗船開始を待つ。
暫くして乗船が始まり、後から来たグループは次々に案内されるが、我々のグループは後回しにされて一向に順番がまわって来る気配がない。
確かめると、見習いを卒業したばかりのツアコンが乗船名簿の提出を忘れていたと言う。矢張り不吉な予感が当たった。
一番最後になって何とか乗船はできたものの、横になって休めるような場所は見当たらない。
82歳の母も連れているので、座れる場所でもとあちこち探しまわり、やっと二人分の場所を確保する。
港を出て暫くすると左手に利尻岳が見えてきた。9割かた雲に覆われてどんよりとした空模様なので「素晴らしい!」と言うほどでもなかったが、普段は山頂が雲に隠れて見えないことが多いらしく全容が見えただけでも幸せな事らしい。
15:10に稚内を出向した連絡船は17:05に礼文島香深港に着いた。
今晩はここの旅館『桜井』に泊まる。夕食までの空き時間を利用して香深の街を散策していると目の前に襟巻き状に雲をまとった利尻富士の威容が飛び込んできた。


1999-6/18 利尻島~礼文島

バスはホテルを7:30に出て島の東側を走り西上泊の澄海岬へ。
海岸の丘は潅木ばかりで樹木の姿はない。シベリアからの北風にさらされて大きい樹は育たないのだろう。
小高い丘に登って暫く散策する。オオカサウドの白い花は沢山咲いていたが、ハマナスの花はまだ少し時期が早いのか所々にしか見当たらない。
そこから少し北上して礼文島最北端・スコトン岬へ。スコトンとはアイヌ語で大きな谷のある入り江と言う意味だと説明された。
沖のトド島には、冬にはトドが6月にはアザラシが住んでいるらしい

バスは朝来た道を戻って香深を通過してメノウが拾えるという元地海岸へ。
しかし、幾ら探しても小さい欠片すら見つけることは出来なかった。
そこから少し北上したところにある地蔵岩を観光し香深港に戻る。

香深港を11:05の船で利尻島・沓形港へ11:45の到着。ここで昼食を取って暫く休憩の後、周囲1km程度の姫沼へ。
ガイドブックには、『沼には利尻富士が映る』と書いてあったが残念ながら確認しそこなった。沼の奥の方で水鳥の一群が水面に白く水煙を上げて水浴びをしていたのが印象に残っている。
この沼ではひめますの養殖もしているとの事であった。

次に訪れたオタトマリ沼では目の前に利尻富士が見えるずだが、残念ながら中腹から上は雲に隠れて姿が見えない。
その後、人面岩など奇岩が続く仙法志御崎海岸や沓形岬公園を経て鴛泊港へ。
これで利尻島を一周した事になる。鴛泊港から16:00の連絡船で稚内へ。


1999-6/19 稚内~羽田

ホテルを8時に出発し北市場でショッピング。こう言うのは時間も無駄だしあまり好きではないが、旅行会社主催のツアーに参加すると必ず寄るお約束のお土産売り場だ。
わが国第2位の灯台があるノシャップ岬から、氷雪の門や9人の乙女の碑が有る稚内公園にまわってしばしの休憩。

その後、わが国最北端の地・宗谷岬で日本最北端の碑、間宮林蔵碑、流氷館などを観光する。流氷館では、冬季に流れ着いた流氷が冷凍室に保存されていて、そこには北国の動物の剥製も置いてあるが寒くて冷たいだけだった。
高台には宗谷岬平和公園があり、遠方に樺太がうっすらと見えたが写真にはそれと判るほどには映っていなかった。公園からさらに草原を登ったところのレストランで昼食を取って休憩する。

午後はサロベツ原生花園を散策するが時期が合わなかったのか一面のエゾカンゾウという光景には逢えなかった。
サロベツから西海岸へ出て日本海オロロンラインを北上。天候が回復して遠景に利尻富士が見える。 稚内空港15:25の便で17:15に羽田に帰着。




利尻礼文サロベツ国立公園を彩る花々たち
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