万国博とポルトガル人気質


1998-09/24~1998-09/27
写真の上にカーソルを置いて暫く待てば撮影場所を表示します。

1998-10/24

成田を午前11時20分に発ってロンドンのヒースロー空港に着いたのは現地時間で15時15分。時差が8時間だから丁度12時間かかった事になる。
1時間半後にポルトガルに向けて出発し、リスボンの空港に着いたのはもう午後の9時。日本では既に朝の5時を回っている時刻だ。
そこからまたバスに乗ってホテルへ向かったが、これがまた大変で、万国博の影響でリスボン市内のホテルが満杯だからセシンブラ郊外まで移動しなきゃならない。
道は狭くなるし街灯はまったく無いし大丈夫かな~・・・我々を載せたバスは真っ暗闇の道をひた走り、午後11時半近くになってやっとホテルに辿り着いた。
なんと日本を出てから20時間も掛かってしまった計算になる。外が見えるときは飛行機の中でやっと着いたら真夜中だ。
機内でさんざん寝たのにまた寝るのかよ。『勿体無いな~』とは思うが仕方ない、文句を言わずに風呂でも浴びて寝よう。

1998-09/25

バスが出発するまで大分時間があるので、ホテルの周りを散歩する。
どうも海岸近くのリゾート地らしいが付近に民家は見当たらない。数台の自家用車が止まっているところを見ると何組かの旅行者が休暇を楽しみに来ているらしい。
よく見るとそのうちの一台は色とりどりのリボンで飾り付けられ、後には沢山の空き缶が結ばれているではないか。
そうか、昨晩新婚旅行ご一行様が缶を引きずってここまで走ってきたんだ。
映画で見た事はあるけど、まさか今時やる人なんて居ないと思っていたことをここでは当然のようにやるんだね。
すごい!!
ホテルの周囲は広々とした草原で大きな岩石がそこかしこに散らばっていて、とても耕して畑にできる状態ではない。
ポルトガルは貧しい国と聞いていたが、この光景を見て『なるほどな~』と勝手に納得する。ガイドの説明によると生活レベルは30年前の日本に近いということだ。
質素な生活でも人々の表情は明るく親切で人懐っこく、日本のすさんだ世情と対比して幸せとは何かを考えされられもした旅になった。
バスは9時半にホテルを出発して11時過ぎに最初の目的地【ロカ岬】に着いた。
ここはヨーロッパ最西端と言う以外に取り立てて見るべきものは無いが、すぐそばにシントラ市庁の出張所があって訪問証明書を出すと聞いたので早速記念に発行してもらった。



そこからシントラ王宮の見学にまわる。詩人バイロンが"エデンの園"と呼んだシントラは全市が世界文化遺産に指定されているというだけあって、緑の山あいにひらけた昔の街並みがそのままの姿で現代に生きている。

街なかの道はあまり広くないが人通りは多く活気に満ちていた。


シントラ王宮前の広場に出ると、ジプシーが屋台のような店舗をひとつ構えておみやげを売っているだけでそれ以外の物売りは見当たらない。
王宮という言葉に巨大な建築物を予想していたが意外と小さな建物で内部の通路も狭く一寸拍子抜けした。


王宮見学後「エンリケ航海王子の発見の記念碑」「ベレンの塔」などを巡って「ジェロニモス修道院」へ


16世紀に建造されたマニエル様式を代表するジェロニモス修道院は雨の多いリスボンの市内にあるためか外壁が黒いカビで覆い尽くされている。
数年前に洗浄したらしいがすぐに黒くなってしまうと言っていた。
しかし、それが古色を醸して却って雰囲気が出ているのではないだろうか。
窓には大きなステンドグラスが嵌め込まれ床に投影するその光と影がまた美しい。





その後夕方までリスボンの市内を観光する。 夕食は「LUSO」にてファドのディナーショーに。たまたま座った席がステージのまん前だった為、すぐそばでバタバタ踊られるとうるさいの何の。
でも考えようによっては特等席だったのかもしれないな。




1998-09/26

午前中に、ファティマ「奇跡の聖母大聖堂」、バターリャ「勝利の聖母修道院」を巡ってからナザレへ。



ナザレは海岸にある漁師町で、その昔漁に出る夫の為に編んだフィッシャーマンセーターが今この町の最大の観光収入源になっており海岸近くに軒を連ねるみやげ物店にはいろいろなデザインの編み物が並べられている。
ただ太い糸で編み上げたセーターはものすごくかさばる。
それを2枚も買ったのでスーツケースがそれだけで半分埋まってしまった。
まだ旅行は始まったばかりなのに、もうお土産をしまう場所は残っていない。


午後は万博(EXPO'98)の会場で自由行動となる。
ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見してから500年目を記念して開催される20世紀最後の万博。
会期は5月22日から9月30日であるが、ポルトガル人は大変ノンビリした性格でそんな事は意にもかいさず、全てのパビリオンが完成したのは7月中旬、もうすぐ閉会になるにもかかわらずホテルなどは未だに予定通り完成していないと言っていた。
だからホテル代わりに急遽客船をチャーターしてその場をしのいでいるらしいが、会期終了後有り余る客室の使い道に困らなくて済む分考えようによってはその方が正解かもしれない。
観客の方も7月頃まではあまり訪れず閉会近くなった8月になってから急に増えたといっていた。
我々が行ったのは、もう会期終了間際となった9月末だったせいもあり満員御礼に近い混みようで、日本館などは3時間待ち、他のパビリオンも軒並み1~2時間待たないと入れない状態で、女性トイレの前なんか常に数十人の行列がならんでおり、用を足すのも一苦労。他人事ながらご心配申し上げたような次第。
テーマが『大洋、未来への遺産』ということで世界中から沢山の帆船が集まっていて内部も見学させてくれる。
パビリオンもいいが、いろいろな形の帆船を一度に見られるだけでも幸せな気分になった。

1998-09/27

今日は一日かけて次の目的地スペインのセビリアへ国境を越えて長距離移動。国境では原野の真中にぽつんと有る休憩所でポルトガルの「エスクード」からスペイン「ペセタ」に両替する。
そこは税関検査も何も無いフリーパスである。

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