沖縄本島


2001-04/25~2001-04/27
写真の上にカーソルを置いて暫く待てば撮影場所を表示します。

2001-04/25

羽田を10:50に発ったJAL903便は13:20に無事那覇空港に着いた。抜けるような青空と新緑。
家内と84歳になる義母を連れての3人旅の始まりである。空港からレンタカー事務所までは送迎バスで10分ほど。空港でゆっくりしていたせいか、ほかの客はすでに出発してしまったらしくバスに乗ったのは我々3人だけ。
すぐにレンタカーの手続きをすませる。


最初に首里城に向けて出発する。 那覇の市街は、車が多く渋滞気味で首里城に着いたころは既に午後3時を回っていた。
守禮の門の前は団体さんが記念写真の順番待ちでごった返していて、とても写真を撮れる状態ではない。
仕方ないのでプロの写真屋さんに記念写真を撮ってもらってすぐに退散する。


元々有った首里城は第二次世界大戦で完全に破壊されてしまい現在あるのは平成に入ってから復元された首里城である。
奉神門から御庭(ウナー)を通って朱塗り鮮やかな正殿に入ると、那覇市観光課の方が沖縄古来の民族衣装で出迎えてくれた。
内部は往時のまま復元され色鮮やかに装飾された柱や梁に琉球王朝の栄華を垣間見る事が出来る。30分程で一通り見終わり城から出ると、前の公園ではデイゴの真っ赤な花が満開に咲いていたのが印象的であった。

今日の予定はもう終り。
あとは今日から二日間お世話になる谷茶ベイのリザン・シーパークホテルへ向かうだけ。
ナビのCDが古過ぎてホテル名でも電話番号でも案内不能なので地図を見ながらやっとルート案内までこぎつけた。
那覇の市街を抜けると車の数はぐっと少なくなったが、みな速度制限50kmを遵守しているし、こちらも旅行者だからと慎重にあとをついて行くせいかなかなか進まない。
まぁ今日は初日、ノンビリ行こうか。

2001-04/26

昨晩は充分に休養したので、今日は島の北半分を周遊しようと意気込んで車を走らせ沖縄海洋博跡地にある『国営沖縄記念公園』へ。
ナッ、ナニ!! ?本日は木曜日につき休園だって 何のために本部半島をぐるっと周って来たかと少しガッカリするが自分の調査不足だ。
仕方ない、気を取り直して次へ急ごう。

大分時間をロスしたが、次の目的地「今帰仁城(ナキジンジョウ)」へ。 まず、『今帰仁村歴史文化センター』に寄って基礎知識を仕入れる。そこで展示されている今帰仁城跡からの発掘品や昔の機具を30分ほど見てから『史跡今帰仁城跡』へ。

世界遺産にも登録されている今帰仁城跡は、小高い山の上にあるので眺望が素晴らしいうえに、総長1.5kmにもなる城壁が峰の上に延々と続いているのは、本で見た万里の長城のようである。

城跡を一通り見てから沖縄本島最北端にある辺戸岬へ。ゴツゴツとした隆起珊瑚がひろがる岬の突端の丘には『祖国復帰闘争碑』が建てられていた。
ここのレストランで、郷土料理アーサーそばを注文する。
ハムみたいなものが乗っている素朴な麺だが少し塩味が強かった印象しか記憶に残っていない。

午前中に大分時間を食って予定よりも2時間以上遅れてしまった。
周遊は諦めて高速を利用しようとさっき来た道を戻る事にしたが、道が混んでいてなかなか思うように進まない。やっと許田ICまで辿り着き高速道路を飛ばす。
高速道路でスピード違反のおまけまでついてようやく与那城へ着いた。
勝連城跡に行こうと付近をウロウロするが目の前に見えるのに入り口が見つからない。
10分ほど付近を迷ったが結局諦めて海中道路へ。名前から海底トンネルのようなものを想像していたが、なんの事は無い浅瀬を埋め立てて作った普通の道だった。
4kmほど延々と続く道は右も左も海。
丁度引き潮時なのか浜に出て潮干狩りをしている人を沢山見かけた。
訪れた記念にと浜比嘉島へ架かる浜比嘉大橋も往復してからすぐ帰途につく。



帰り道は順調で5時前にはホテル近くまで戻れた。
時間が余ったので急遽近くの琉球村へ寄ることにする。
ここには沖縄各地の古い建物を移築して保存していて、藍染めや紅型工房などもあり実演して見せてくれるが、お土産販売と一体になっているのですこし話し掛けにくい。
ざっと見ておさらばした。

2001-04/27

今日の予定は島の南半分を踏破する事。まず最初に向かったのは国指定重要文化財の中村家。
琉球王朝時代に地頭に任じていた中村家の屋敷が今に残されていて、琉球独特の建築様式を鑑賞する事ができる。建物をぐるっと周回する形の庭もそれほど広くはないが綺麗に整備されていた。

次は中村家から少し南にある中城(ナカグスク)城跡へ。
ここも世界遺産に登録されている遺跡で石灰岩の石積みによる城壁が残されている。
芝生が植えられた広い城跡で静かに時を過ごしていたのに、修学旅行生の奇声が響いてきて突然現実の世界に引き戻されてしまったのは大変残念だった。

中城城跡で時間を掛けすぎたのか識名園(世界遺産 国指定特別名勝)に着いたのは昼頃になってしまった。
琉球王家最大の別邸である識名園の造園形式は池を中心に据えた回遊式庭園で、名勝指定面積は1万3千坪もあるという。


島の南部に位置する玉泉洞王国村は全長890mの鍾乳洞と沖縄の伝統文化を紹介するテーマ館で成り立っている。
鍾乳洞に入るとまず石筍や石柱乱立する広い空間がある。
そこから階段を地下数十mにまで降りるとやっと水平な通路に出た。洞の規模は普通程度か。
通路も広く長さも適当に有って地底探検の気分を満喫させてくれる。
母を連れていたので最後の登りを心配したが長いエスカレーターが設備されていたので一安心した。
地上にはガラス工芸館や焼物工房が有って実演を見ることもできる。
広場では太鼓の音も賑やかに沖縄の若者による集団演舞が披露されていて沢山の観光客を楽しませていた。
どのような形であれ沖縄の民族芸能が消え去ることなく将来に引き継がれていくのは大変嬉しい。
この原稿を書いていて、休憩所で飲んだ椰子の実ジュースのほんのり甘くて美味しかったことと、椰子の実の白身部分が烏賊の刺身のようだったことを昨日の事のように思い出した。

ひめゆりの塔に花束をささげたあと平和祈念資料館へ。
展示室の左右の壁には戦争の犠牲になったひめゆり学徒隊の沢山の生徒の写真が展示されており、改めて戦争むなしさおそろしさの感情がこみ上げてくる。
傷ついた人々を介護した防空壕の模型の前で、戦争を実際に経験したであろう年配の婦人が見学の学生に当時の模様を語っていた。そばにいるだけで辛くなってくる。

飛行場近くまで戻って来たが帰りの便にはまだ少し早いので、時間つぶしに観光案内書に載っていた『琉球の館』に寄ってみる。
玄関を入るとすぐにガイドの女性が出てきて琉球の織物や染色について説明を始めたが、なんの事は無い普通のお土産屋さんだった。

帰りは沖縄空港17:40発(JAL906便)で無事羽田に帰着。

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