ミレニアム復活祭のイタリア


2000-4/17~2000-4/28

2000-4/17 成田からローマへ

昼に成田を発ち、ミラノのマルペンサ空港へ着いた時外はもう真っ暗。
ローマ行きに乗り換えるためトランジットルームへ急いでいると、妻が横腹をつつく。 何事かと思ったら数メートルうしろを、ななんとソフィア・ローレンが歩いて来るではないか。 悪いと思いつつもつい見入ってしまった。 よく観れば寄る歳波は隠しようも無いが、貫禄は充分で近寄りがたい雰囲気を漂わせている。 暫く並んで歩いていたが、残念ながら数人のお供と一緒にVIPルームへ消えてしまった。 『とうとうイタリアに来たんだ』と一人感激。
ローマのレオナルド・ダビンチ空港に着いたのは現地時間でもう午後8時。そのまま、すぐにホテルに向かった。

2000-4/18 ローマ市内観光

今年はミレニアムの年。 復活祭の間、ローマ市内へは大型バスの乗り入れが出来ないので、我々ツアーのメンバーは数人づつに分かれてマイクロバスで観光する事になった。
最初に向かったのはバチカン博物館やシスティーナ礼拝堂があるバチカン市国。
システィーナ礼拝堂では復元なった天井画にしばし見とれる。
天井一杯に鮮やかな色彩で描かれた宗教画が圧倒的な迫力で迫ってくるが、残念ながらクリスチャンではない我が身の悲しさ、聖書を題材にした物語りはもう1つ理解しにくい。行く前にもっと勉強して置けばよかったと悔やまれる。
その後サン・ピエトロ寺院へ。
今年は25年毎の周期に当たるらしくて正面の『聖なる扉』が開いている。 次にここから入れるのは25年後になると言う事で、昨日今日とラッキーが続く。
ヨーロッパでは何処の教会も巨大な建造物ではあるがここは特に大きい。
教会の前の広場には沢山の椅子が整然と並べられている。 これは明日のローマ法王の講話を聞くために世界中から集まる信徒の為らしいが全て予約済みで開き席はないと言っていた。
その後、映画グラディエイターで話題になったコロッセオやトレビの泉,ベネチア広場などの観光コースを巡って解散。
地図を片手にスペイン広場からポポロ広場を散策しテレベ川を渡ってホテルへ。 夕食はレストランでカンツォーネを聞きながら旅行気分に浸る。


2000-4/19 ナポリとポンペイの観光

アッピア街道を南下してナポリへ向かう。 ナポリではセキュリティー上の理由でバス車窓からの観光となった。
丁度藤の花が真っ盛りであちこちの民家の垣根が紫の花房で覆われていた。 街路樹のユダの木(花スオウ)や桐の花も満開である。 アパートの窓にも花・花・花。
昔イタリア映画でよく見たアパートからアパートへ紐を渡して洗濯物を干している光景があちこちに見られる。 雨が降って濡れてしまったら陽が出て乾くまでそのままにしておくらしい。
南イタリアはノンビリした性格で道傍のベンチに腰掛て一日中話しこんでいる人が多いと言う。
それに比べて、北イタリアは真面目な働き者と言う事で北イタリアの住民からは南を切り離して独立したいと言う冗談も出るらしい。
午後は古代都市ポンペイを見学する。 BC79年にベスビオ火山の噴火で埋まってしまった都市で教科書では読んだ事が有るが、実物を見てその頃の生活の文化程度の高さに驚嘆した。
まだ発掘作業は継続中だが全部の発掘が終わるのは相当先のことになるらしい。宿泊はナポリ湾を望むソレントのホテルで。

2000-4/20 カプリ島

ナポリ湾に浮かぶカプリ島観光の目玉は『青の洞窟』。 洞窟の入り口は非常に狭いので小船に乗って波のタイミングにあわせて洞窟に入るらしいが、今日は波が高くて小船が出せないと言う。
長~いリフトに乗ってソラーロ山頂に上がりカプリ島を一望したり島の観光地を周りながら波の収まるのを待つが一向にその気配が無い。
聞くところによるとどうも十日に一日しかチャンスが無いらしい。 仕方なく洞窟に入るのは諦めて地上から洞窟の入り口へ歩いて向かう。
急な坂を下って行くと鉄柵に囲まれた狭い展望台に出る。波のしぶきを被りながら先端まで進んでも入り口らしきところが少し見える程度で、洞窟の内部を想像することは到底無理と感じた。
昨日と同じホテルに連泊。

2000-4/21 ソレント~チボリ~アッシジへ

午前中はチボリにあるヴィラ・デ・エステの噴水庭園に行く。
ここはエステ家の別荘だったところで、庭園には500近くの噴水が土地の高低差を利用して噴き出す仕組みになっているが長い間ずっと壊れたままだったらしい。
それが最近修復され、一斉に水が噴出する豪快な光景が見られるようになった。
この庭園は花も多く多種多様の草花が咲き乱れていたのも印象に残っている。
昼食後、暫くバスに揺られていると、前方の小高い丘の上に中世の古城らしき街アッシジが見えてきた。
古い僧院の宿舎を改装したホテル(SUBASIO)は、サン・フランチェスコ教会のすぐ前に位置し古い街並みとも完全に融合して何百年か時を遡った感動を覚える。
設備は少し旧式だがそれがまた雰囲気を盛り上げてくれる。レストランの屋外テーブルに座って目前の教会や眼下に広がる新市街の眺望を静かに眺めていると溜まっていた煩悩もいつの間にか消えていってしまうようだ。
ホテルに荷物を置いてから旧市街の散策に出かけた。数年前の大地震で崩壊したサン・フランチェスコ教会や街並みの復旧作業もほぼ終了し、もう地震の影響は見受けられない。
徐々に夕闇に包まれていく街を赤い衣装を身にまとった感謝祭前夜のミサ行列が進んで行った。

2000-4/22 アッシジ~シエナ~フィレンツェへ

午前中にサン・フランチェスコ教会を見学してから古都シエナに向かう。 シエナの旧市街は、少し離れた新市街から眺めると街全体がレンガ色に染められた印象を受ける。 この街には世界一美しいと言わているカンポ広場があり大勢の観光客で賑っていた。 毎年7月2日と8月16日には、広場を中心に街中を裸馬に乗った若者が走りまわる地区対抗の騎馬競争が行われるとのことで、近くの空き地ではその応援の旗振り練習をしていた。
広場から狭い道を歩いて10分程のところにあるドゥオモも相変わらず観光客は多いが、白と黒の大理石で作られた外壁の縞模様が落ち着いた雰囲気を醸し出している。 今日はフィレンツェ泊。

2000-4/23 ピサとフィレンツェの観光

高台にあるミケランジェロ広場からフィレンツェの街を一望した後ピサへ。 ガリレオが引力の実験をしたと言われるピサの斜塔を指一本で支える秘技を写真に残してから塔へ向かう。 塔は建築途中から傾斜していたらしく上部を建築する時にはその分を修正した為良く見ると建物が弓なりに曲がっている
。最近ますます傾斜がきつくなったらしく倒壊防止のワイヤーで反対側から牽引されていた。 斜塔を見学してからドゥオモと洗礼堂へ。
洗礼堂の音響効果はそれは素晴らしく、 警備員が堂の中央で歌ってくれたその声の反響音は暫く鳴り止まなかったほどだった。
フィレンツェに戻りサンタ・クローチェ教会近くのレストランで昼食後、ウフィッツィ美術館へ。
「春」や「ビーナスの誕生」「聖母の戴冠」などイタリアルネッサンスの至宝を鑑賞した後ドゥオモと洗礼堂の「天国の扉」を見学しホテルに戻った。
夕食後付近を散歩してホテルに戻ると部屋のあたりが何か騒がしい。 聞くと食事中に泥棒に入られたと言う。 私が泊まった部屋の向かいの部屋と二つ隣の部屋がやられた。 バール状の工具で扉を無理にこじ開けたのかドアの鍵穴付近は壊れてちぎれ飛んでいる。 随分乱暴な手口だ。
私達の部屋の扉の覗き穴は外から紙で塞がれ部屋の中からは外が見えないように細工されていた。 暫く待たされてから警官が来たが部屋の内部を一瞥しただけで指紋も採取せず被害状況の確認だけをして、保険がおりるならいいだろうという態度。
ホテル側もなれた様子のところを見るとこんな事はしばしば有るのではないかと思う。
シェラトンという名前を信用していたのにセキュリティ対策がまったく出来ていない。 もし泥棒と顔を合わせたらどうなっていたのかと思うと恐ろしくなった。 用心・用心。

2000-4/24 フィレンツェ~サンマリノ~ラベンナ

午前は、ティターノ山の山頂にあるサンマリノ共和国へ向かう。狭い坂道に観光客がひしめき合い中々進む事が出来ない。
その坂を登りつめた頂上に要塞があり、アドリア海を望む眺めは素晴らしく人ごみをかき分けて登ってきた苦労を忘れさせてくれる。
午後はラヴェンナへ。 サン・ビターレ教会やガッラ・プラティディア廟などお決まりの観光コースを周ってホテルへ。

2000-4/25 ラベンナ~ベニス

午後憧れのベニス観光。 ベニスには150の島とそれを結ぶ4,000の橋があるがメインの交通手段は船である。
我々も黒い細身のゴンドラに乗って狭い運河を揺られる。もっともこの類のゴンドラは観光用だけにしか使われていないらしい。
漕ぎ手とは別に歌い手が乗って雰囲気を盛り上げてくれた。
サン・マルコ寺院に入るために行列に並びながら上を見あげると、精緻なモザイクで飾られたアーチの上には4頭の馬のブロンズ像が見える。 寺院内部に入ると天井や壁そして柱や床までもがモザイクで埋め尽くされており、祭壇裏にはキリストや聖母マリアを宝石と金箔で描いた傑作があって12,3世紀の芸術の素晴らしさを見せてくれる。
みやげ物屋にはベネチアングラスが所狭しと並べられているが、どの店にも同じ規格品が並べられているわけではないようだ。
工房が沢山あってそれぞれの特徴を出しているので、気に入ったデザインに出会うまで沢山の店を覗いた方が良い。
レースの店に入ったら店員の日本語があまりに上手なので驚いた。 ローマ大学で日本語を学んだが『日本にはまだ一度も行った事は無い』と言っていた。
それに比べて当方は何年も英語を習っていたのに未だに自由に喋れない。 なんと情けない事か。今晩はリド島のホテルに泊まる。

2000-4/26 ベニス~ミラノ

朝早く目が醒めたので島をひとまわり散策する。 海岸の砂浜には夏の水浴シーズン名残の休憩小屋やバンガローが沢山並んでいたが人の姿はない。
食事後ミラノへ出発する。
午後はミラノのお決まり観光コースを一巡する。スカラ座の前を通ってビットリオ・エマヌエル二世アーケードを抜けると急に開けた視界に巨大なドゥオモが飛び込んでくる。
観光ガイドに良くある写真の通りだが実物は本当に美しい。内部に入るとその天井の高さに圧倒される。
大きな大理石を積み上げる方法でよくもあんなに大きな建造物を作ったと感心せざるを得ない。

スフォルツェスコ城観光の後、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会の食堂の壁に描かれた『最後の晩餐』を観る。
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたこの絵は最近修復が終わったばかりということで美術の教科書で観た絵よりも鮮やかに彩色されていた。
しかし、驚くべきは完全入れ替え制の厳重な管理体制。見学者は15人程度のグループに分けられて最初の空調室に入る。1つのグループ全員がこの部屋に入って、入り口の扉が閉まってから暫くしないと出口が開かない。
こんな部屋を2つほど通ると壁画のある部屋へ入れるわけだが、そこも前の見学グループが全員出て出口が閉まらないと部屋の入り口が開かない仕組みになっている。
部屋の中は暗く壁画のある部分だけが薄明かりで照らされている。ここまで厳重に管理されている壁絵を見ることが出来ると何か得した心境になるのは不思議だ。
ミラノで宿泊したEXCESIOR GARIAの部屋からは、目の前にムッソリーニが権威を示す為に建造したとされる大理石作りの巨大な国鉄ミラノ駅が見えた。

ホテルでの夕食後、街の散策に出て近くの教会を見学したときに知ったが、ヴェネチア同様ミラノでも地盤沈下が激しく補修が大変らしい。 建物によっては2m近くも沈下している。
通りには出店が並び人々で賑っていた。 ミネラルウォータを買おうと覚えたてのイタリア語(単語のみ)を並べたが何とか通じるものである。

2000-4/27 湖水地方を周り帰途へ

今日は帰りの便に乗るまで自由行動なので湖水地方へ出かける。まずイタリア・スイスの国境を越えてルガーノ湖へ。
1時間ほど湖畔とルガーノの街を散策してからイタリアへ戻ってコモ湖へ。 コモ湖ではモーターボートに乗って湖を周りながら湖岸にびっしりと立ち並ぶ大小の別荘を羨望の目で眺める。
ガイドが「NHKの別荘」というので流石は日本の大企業と思ったが、確かめたら『メディチ家の別荘』を聞き違えただけだった。

2000-4/28 成田着15時40分
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