富士五湖を巡る

2005-11/17~2005-11/19



一週間後に母の用事で八王子の親戚へ出かける事になったが、母も一緒なら久し振りに河口湖方面まで足を伸ばそうかと急遽宿探しを開始した。

時は丁度紅葉シーズン、希望するホテルは既に満室だったが他を探して何とか部屋も確保することが出来た。さあ行くぞぉっ。


2005-11/17(木)

午前8時出発。中央高速道は18日まで24時間集中工事中で、普通なら1時間もかからない高井戸-八王子間に4時間近くかかると事前情報を得ていた。それならばとアクアライン経由保土ヶ谷バイパスを通って八王子へ出るルートを選択した。
早々に用事を済ませ、午後2時過ぎには八王子インターから中央高速に乗り河口湖へ向かった。八王子より先は渋滞も無く河口湖畔までたった45分で到着。

ホテルに行くには少々早すぎると、久保田一竹美術館へ寄る事にした。
幻の染物「辻が花」を復元し現代に蘇らせた 染色家「久保田一竹」の作品を展示(撮影禁止)しており、富士をテーマにしたその作品に圧倒された。
美術館の裏手には良く整備された庭園もあり色づいた紅葉が丁度見ごろで美しい。美術館を出るころには日も傾き辺りは少し薄暗くなってきた。

一竹美術館入り口
一竹美術館 一竹美術館
中庭
一竹美術館
美術館裏の庭園
一竹美術館

今日の宿は河口湖畔の「若草の宿・丸栄」。
そのままホテルに向かい温泉に入ってからゆっくり夕食にする。
丁度河口湖畔では20日までモミジ祭りを開催中。夕食後、午後8時出発のホテルの送迎バスに乗ってモミジ祭り会場へ出かけた。寒いからと厚着をして出かけたのに、外気は-1℃まで冷え込んでバスを降りるとゾクッとする。

ライトアップされたモミジ並木に沿って100mほど進むと広場に出る。そこにはテントを張った会場が設営されていたが、お土産を並べているだけでこれといって見るものも無いので、会場へ向かう途中で車窓から見かけた「オルゴールの森」のイルミネーションを見に行く。15分ほど歩いてやっとオルゴールの森に着いたら、『間も無く閉館時刻なので申し訳ないが入場できません』だって。残念。

モミジ祭り
モミジ祭り
モミジ祭り
モミジ祭り
モミジ祭り
モミジ祭り
オルゴールの森エントランスのイルミネーション
モミジ祭り

宿に戻り、モミジ祭りで冷え切った身体を暖めようと直ぐに露天風呂へ。

『富士山が見える』が謳い文句だったが、真っ暗闇で何も見えず冷たい風が身にこたえるだけ。早々引き上げて床についた。


2005/-11/18(金)

旅の朝は目覚めが早い。まだ5時を周ったばかりというのにカーテンを開けると外には雲ひとつない青空が広がっている。
『あっそうだ!今朝は朝日に照らされた富士山を見るんだった。』
直ぐに着替えてホテル屋上の富士山が見えると言う展望台へ直行。まだ周囲は薄暗いが富士の姿ははっきりと見える。今朝の気温はマイナス3℃と聞いたがとにかく寒くて身が引きしまる思いだ。

震えながらも早速デジカメを構えて日の出を待つ。東の山並みの稜線が赤みを帯びると共に辺りも少しずつ明るくなってきた。周囲を見渡すと、気温が急に冷え込んだからだろうか湖面から湯気が立ちのぼって幻想的な世界が広がっている。
日の出と共に富士山の山肌が赤く染まってきた。これを「赤富士」と呼ぶのだろうか、写真誌に載っているほどには染まらなかったが素晴らしい光景にしばしの間見惚れてしまった。

河口湖畔の日の出と朝焼け富士 (ホテル屋上の展望台から)
日の出 朝焼け富士

太陽が完全に姿を現したところで富士山の撮影を打ち切り、ホテル前の湖畔に出て湯気が立ち上る早朝の河口湖の風景を撮影。

吐く息も白く見えるほどに冷え込んだ朝の空気は凛として気持ちがいい。


早朝の河口湖畔
早朝の河口湖畔 早朝の河口湖畔
早朝の河口湖畔 早朝の河口湖畔
早朝の河口湖畔 早朝の河口湖畔

撮影も一段落、部屋に戻り冷えた身体を温めようと露天風呂に直行したが、夜の間に男女の風呂が入れ替わっていて残念ながら男風呂からは富士が見えなかった。
ゆっくりと朝食を食べてから今日の予定を相談。
まずはホテルから車で1分のところに有る河口湖ミューズ館からスタートすることに。

この美術館では人形作家「与 勇輝」氏の作品を常設展示している。昭和初期の光景であろうか野辺に遊ぶ子供たちや、お使いに行く少女などを、目の輝きや手指の表情に至るまで見事に表現していて、郷愁溢れる人形の前に佇んでいるだけで心が休まる。
素材が木綿のため年二回展示替えで休ませているとの事である。


河口湖ミューズ館 展示作品例(館で購入したカタログから複写)
河口湖ミューズ館 与 勇輝氏作品 与 勇輝氏作品

河口湖ミューズ館をあとに河口湖大橋を渡って対岸の河口湖美術館へ。ところが駐車場の入り口が中々分からず入館を止めて直ぐ隣の「オルゴールの森」へ。
昨晩エントランスを飾るイルミネーションを撮ったところである。オルゴールといえば机上に置くぜんまい仕掛けのものを思い浮かべるが、ここのは小さくても小学生の頃教室で見かけたオルガンのサイズ、大きいのは一部屋を占領するような大きさであった。

この美術館に展示されている機械は、現代の自動演奏楽器のように楽譜をコンピュータに記憶させているのでは無く、昔のコンピュータのように紙テープにパンチした穴の位置で楽譜を記憶している。エントランスホールやオルゴールミュージアムでのオルゴール演奏やチェコの弦楽四重奏団の生演奏などを聴いたあと中庭のカリオン広場に出ると時報にあわせて噴水が踊るデモンストレーションも。


エントランスホール(部屋全体が巨大なオルゴール)
ステージに陳列した自動演奏機を一台づつ実演
チェコの弦楽四重奏団の生演奏も
カリオン広場

オルゴールの森の次は遊覧船に乗って湖上周遊へ。道路から見るのとは違った富士の姿を見る事も出来た。
頬に当たる風が心地よい。

遊覧船から降りると丁度昼食時。桟橋近くのレストランは観光客でごった返していたので、もう少し静かな所と少し離れたレストランへ。店の構えは立派だったが残念ながら料理の方は期待外れ。観光地のレストランだからこんなものか。午後一番は「天上山カチカチ山ロープウェー」で天上山公園へ。

公園の展望台からは富士山,河口湖大橋だけでなく富士急ハイランドも手に取るように見える。
ゴンドラ内の放送で、この山は「カチカチ山」の童話で背中に火のついた狸が河口湖まで一気に駆け下った山と説明されたが、傾斜30度近い急坂は走るというより転げ落ちたというべきか。


河口湖・天上山公園から
河口湖畔天上山公園から 河口湖畔天上山公園から

河口湖大橋
富士急ハイランド

天上山公園から降りたあとは、本栖湖,精進湖,西湖と富士五湖巡りのドライブに。
富士は夫々の湖ごとに違った表情を見せてくれた。

残念ながら午後の太陽は富士山の裏側、写真としては若干インパクトに欠けるものとなった。
その後、今晩の宿がある山中湖畔に向かった。


本栖湖の湖畔から
本栖湖 本栖湖

精進湖の湖畔から
精進湖 精進湖

西湖の湖畔から
西湖 西湖

山中湖周辺は河口湖ほどの賑わいがなく店もホテルも少ない。
今日の宿は富士山中湖ホテルだが、照明を落としたロビーは薄暗くレセプションデスクにも人影が無い。

シーズン中というのに宿泊客の姿は見えず営業しているのかどうか心配したほど。
まあ温泉があって食事が出てベッドが有れば良いやと割り切って一晩過ごした。


2005-11/19(土)

今日も快晴、今回の旅行も天気に恵まれ最高の気分。まずは山中湖一周の途中山中湖美術館に立ち寄った。山中湖畔沿いのカラ松林の中、車が一台やっと通れる程の狭い道を200mほど入るとコンクリート打ちっぱなしの建物が建っている。そこがピカソやシャガールなどの版画を中心とした個人運営の山中湖美術館である。

館主のお話では『資金を豊富に使うことは出来ないので、質を重視して集めました』との事であったが、展示されている作品や美術館内のティールームに雑然と積まれ埃を被っていた美術関係の蔵書を見る限りでは、美術館として少々期待はずれの感がした。


山中湖美術館

山中湖の湖畔から
山中湖 山中湖

美しい富士山の雄姿を充分に堪能したあとは138号線で富士吉田の歴史民族博物館に向かった。
博物館の近くになるとそれまで続いていた林が途切れ、突然目の前の視界を遮るように富士山が現れた。


富士山とレーダードーム館(歴史民族博物館屋上から)
歴史民族博物館屋上より

歴史民族博物館ではこの地区に住んでいた人々とその生活を富士山との係わりを含めて古民具やジオラマで紹介している。
千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館には及ぶべくもないが、一地方都市が運営する博物館としては特筆に価する規模である。博物館屋上は展望台になっていて富士山や近くの富士山レーダードーム館なども間近に見ることが出来る。


更に138号線を北西に進むと北口本宮富士浅間神社が有る。ここは、富士山の噴火を鎮める為に創建された古社で、建物は国の重要文化財に指定されている。

また、毎年8月には日本三大奇祭の一つ「吉田の火祭り」が行われる事でも知られている。
お参りした時は丁度七五三の祝いで、着飾った稚児連れの家族でにぎわっていた。


浅間神社 浅間神社

浅間神社からの帰路、富士山から流れ出た伏流水が湧き出る湧水池「忍野八海」に立ち寄る。八海とは八個の湧水池の総称で、80年の歳月を経て溶岩の間で濾過された伏流水が湧き出たもので国の天然記念物に指定されている。それぞれの池は直径数メートルほどの小さい池だが、案内板には水温が年間を通じて15℃前後で一定していると書かれていた。

どの池も水底がはっきり見えるほど透明度が高く、水中では大きな鱒や鯉が悠然と泳いでいた。
八海の一つ「底抜池」の脇にある茅葺屋根の「榛の木林民族資料館」は十八世紀の民家を利用した建物で中には武具.民具などが展示されていた。
屋台で買った蓬大福を食べながらの散策。街道の出店を覗いて冷やかしながらの散策も思い出に残った。


忍野八海の小川は川底まで透き通って見える
忍野八海
榛の木林民族資料館

榛の木林民族資料館付属展望台からの眺め
忍野八海
銚子池
底抜池
忍野八海

透明度の高い池の中には
忍野八海 忍野八海

あとは一路自宅に向かうのみ。
富士山の間近を通っている富士五湖道路では見上げるほどに聳える美しい富士山の姿に圧倒され、今回の旅行最後に見た富士も記憶に残る雄姿であった。
右手に見えた富士が姿を消すと東名高速も間近。

都心は渋滞の恐れがあるので途中で一般道に出てアクアライン経由で帰宅。心配した渋滞もなく午後3時過ぎには自宅に帰りついた。
今回の旅は連日快晴に恵まれ富士山と紅葉を思う存分に楽しんだ旅となって、母も大変喜んでくれた。

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