トルコの世界遺産


エジプトとトルコの古代遺産を巡る旅の大部分はトルコを巡るツアー。
何度か計画したもののいろいろな事情で延び延びになっていたトルコ旅行がやっと実現。  たった6日間の駆け足でのトルコ周遊ではあったが多くの世界遺産を巡れた有意義な旅であった。


2006-06/21(水)カイロ~イスタンブール

カイロ国際空港から飛び立ったエジプト航空のMS-737便がイスタンブール空港に着陸したのは午後3時前。
ランディングショックを全く感じさせない静かな直陸にアフリカからの搭乗客から思わず感嘆の拍手が沸きあがる。
『トルコに着いた!』永年の夢がやっと現実のものになる。
空港で待ったいたのはベンツの大型バス。 乗るのはツアー客12人、日本から同行したツアコンとトルコの現地人ガイドそれに運転手2名の総勢16人、一人で4座席独占のゆったりシートでトルコ周遊の旅にさあ出発。
空港周囲は色とりどりの花が咲く花壇に囲まれ、つい先ほどまで居た砂漠の街カイロの褐色の風景から一転して華やかな光景が広がる。

今日の予定はブルーモスクとアヤソフィアの見学である。
ブルーモスクは1616年に完成したイスタンブールで最も美しい寺院であり、6本のミナレット(尖塔)を有するのは全トルコでもこの寺院だけである。

ブルーモスク(詳細は下の写真をクリック

ブルーモスクの横の出口からスルタンアフメット公園に出てアヤソフィア博物館へ向かう。
この公園はもとはビザンチン帝国時代に作られた収容能力3万人の競技場であったらしいが、現在では当時の面影を残すものはオベリスクほか数点だけである。
オベリスクはイスタンブールで最も古い記念碑で、西暦390年にエジプトはルクソールのアモン神殿から移された物である。
また、コンスタンチノープルの柱は、コンスタンチヌスⅦ世が10世紀の頃造らせたもので当初は銅と真鍮で表面が覆われていたが、13世紀初頭のラテン人の侵略の際に剥がされて貨幣鋳造に利用されてしまったらしい。
ドイツの泉はウイルヘルム皇帝の泉とも呼ばれ、イスタンブールのもてなしに感激したドイツ皇帝ウイルヘルムから1898年に贈られたもので、そのドームは金のモザイクで飾られている。

オベリスク(奥の塔はコンスタンチノープルの柱)
ドイツの泉

イスラム教ではある年齢に達した男子は例外なく割礼の儀式を受けるそうで、日本の七五三同様親族が集まって祝うという。 この日は白い衣装を身にまとった子どもの姿をあちこちで見かけた。

割礼に行く男の子とその姉達
アヤソフィア前で見かけた馬車

ビザンチン時代最大の建築物であるアヤソフィアは西暦537年にキリスト教の教会として建設されて以来916年間は教会として使用されていたが、後に都の支配者となったオスマン民族により481年間はイスラム教のモスクとして使用されていた。 1935年2月に博物館として一般に開放される。

アヤソフィア博物館(詳細は下の写真をクリック

アガサクリスティの小説で知られる「オリエント急行」の終点駅の構内に有るレストランで夕食を食べていると目の前に列車が入ってきた。
横を見ると「OE」のマーク!! オリエント急行(注)だっ。 それっとカメラを持って食事をそっちのけでホームに走る。
列車の側面にスプレーでの落書きが有ったのは時代の流れか。

(注)現在アガサ・クリスティの小説で知られる超豪華列車は運行されてなく、名前だけ同じで豪華さとは無縁のオリエント急行だそうです。

駅構内のレストラン
オリエント急行

夕食も済んでホテルに向かう頃はもう午後8時、ボスポラス海峡に架かるガラタ橋から見る風景が夕焼けに染まり始める。
憧れのトルコでの第一日は無事に予定終了となった。

ガラタ塔(新市街)
スレイマニエモスク(旧市街)
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